年の瀬があまり好きではない。なんだか無性に悲しいし、別にめでたいと思うほど素晴らしい一年を過ごした実感も別にないからだ。けれどせっかくこうして文字に残す媒体があるんだったら、たまにはこうして振り返ってみようと思った。
と言っても、どうしても直近の思い出ばかりが目先につくものだ。例えば彼女と別れたとか、同じサークル内の人と付き合ったからその後のイベントがちょっと気まずいとか、悲しいからマッチングアプリを始めてみたけれどあんまりうまく行ってなくてやるせないとか、そんなしょうもなくて下品な話ばっかり出てきてしまう。どうして男というのは、女性が絡むとこんなにも情けない思考回路に陥ってしまうのだろうか。
それだけなわけがないと思って色々と思い返してみれば、そういえば先輩との交流が特に多かったような気がする。中学高校は、学年やクラスというものがカッチリと分けられている以上、先輩付き合いというものがどうしても堅くなってしまう。それに引き換え、大学生はそのような概念も少なく、サークル内であれば先輩同輩後輩と、あまり関係なく密な関係を築くことが多い。僕は先輩も後輩も中高時代はあまり好きではなかったが、大学生になって初めて友達と言っていいくらい仲の良い付き合いができているように感じられる。年の差は関係なく気の合う合わないというのは存在しており、僕の視野が狭かっただけなのだろう。
他にも、こうして文章に書き起こすことも増えた。少し前までは今以上にへたくそな文章で、上手に言語化できない自分にうんざりしてしまうことも多かったが、少しずつ上手に書き起こすことができるようになってきた。本当にわずかながら反応も貰えるようになってきた。自分で言う日が来るとは思わなかったが、こんな稚拙な文章に反応がくると本当に嬉しい気持ちになる。一回だけ元カノの愚痴日記を書いたらそれがバレて怒られたのも、今となっては良い思い出だ。
個人的には1番の変化なのかもしれないが、服装に気をつかう意識が芽生えたのも今年からである。僕は服装なんてなんでもいいでしょと思ってしまう人間で、あからさまなダサささえ避けられれば、もはやなんでもいいと思う人間だった。まあまだ今もギリそうなのだが、もう大人を迎え始める時期であり、ドレスコードや身だしなみの重要さを生半可に知ってしまい、あまりにも粗末な服装ばかり着ているように考えてしまった。服をキメるなんてダサい、誰もお前のことなんて見ていない。そんな無駄な尖りが1番の害である。そのような自分の自意識にムチを打つことができるようにもなってきた。大人になるというのは、こういうことなのかもしれない。
あと1番の理由は彼女と別れた理由の一つが僕の服装があまりにもダサい、もとい雑だからである。結局元カノのことで頭がいっぱいだったようだ。なにがあったかなとフォルダを見返してみても元カノの写真ばっかりだし、今年を振り返ると血まみれになってしまうので、この辺で終わりとさせていただきたい。来年こそ、良いお年を!
特別お題「わたしの2022年・2023年にやりたいこと」