回復したい日々

いろいろ書いてます

僕ラノ承認戦争

 

基本的に自分のことが好きだ。

現実的で客観的な思考ができるところや、楽しむときは楽しみ、盛り上がるべき時はそれなりに盛り上げることもできる。男女分け隔てなく仲良くなることができるし、付き合った人には優しく接することもできる。たまに口が悪い時もあるが、そんな隙があるところも人間的魅力というものだろう。

なかでも、僕が1番自分の素晴らしいと思っているところは、『優しい』ところである。

優しさなんて、人間誰でも持ち合わせているものだし、はるか昔から優しい男なんて掃いて捨てるほどいただろう。ただ、僕の優しさはそんじょそこらの優しさとは一味違う。ただ重い荷物を持ってあげるとか、優しい言葉をかけてあげるだとか、そんな甘っちょろいものではないのである。

では、そこまで力説するほどの僕の優しさとは一体どんなものなのか。具体例を挙げながら説明していきたい。 

 

あれは中学生の頃の話だ。仲良しの友達同士のLINEグループがあった。毎日とりとめのない会話を繰り広げているなか、その中の一人の友達からこんな相談があった。「俺が発言するとLINEが止まる気がする」。なんのこっちゃ、くだらないとは思いつつ、それ以来彼が発言したら必ず僕が返事をするようにしていた。その結果僕でLINEが止まることになるのだが、彼は安心していたし、僕もさほど気にしていなかったのでみんなが幸せになったのである。

あれは高校一年の頃の話だ。仲良し四人組で部活に入ることとなった。高三の先輩が代表の時は楽しく和気あいあいと部活動を行っていたのだが、高三が引退して以降、突如練習が厳しくなった。はじめのうちはみんなで頑張っていたが、だんだんサボり始めていき、最終的に僕以外の三人は辞める決意を固めていた。じゃあ自分も……と思いつつ、ほかに入っていた同級生や、先輩方にどうしてもと引き留められたことなども相まって辞めずに続けることに決めたのである。ちなみに、やめた三人はバレー部に入り、新しいコミュニティで和気あいあいとスポーツを行っていた。

あれは大学2年生の頃の話だ。当時付き合っていた彼女と少し喧嘩をした。原因は彼女の束縛があまりにも激しいからだった。その後向こうから『謝りたい』という連絡があり、電話をすることになった。着信に応えると、電話口ですすり泣いている彼女の声が真っ先に聞こえてきた。そこまで思い詰めていたのか、と少し反省しつつ話しかけると、彼女が口を開いてこう言った。『私、実は死のうとしてたんだ……』空いた口が塞がらなかった。当時21歳の僕に受け止められる情報ではなかった。けれど、深刻そうにこれまでの人間関係について語り出している彼女に対して、無碍にすることも、つっぱねることもできず、ただひたすら慰めることに徹したのである。ちなみに謝罪の言葉は出てこなかった。

 

….どうだろうか。いかに僕がそんじょそこらの人間とは違い『優しい人間』であるか、というのが伝われば幸いである。現在僕は友人から『性格が悪い』『ひねくれている』『怖い』と言われることが多い。心外もいいところだ。表層的な部分しか見ないで僕のことを当てずっぽうに断じないでいただきたい。僕ほど優しく、心根が善良な人間はいないだろう。けれど、そんなことに気づいてもらえなくても構わない。これを読んでくれたあなたさえ気づいてくれれば、僕はそれだけで幸せである。