回復したい日々

いろいろ書いてます

若者のすべて

 

またもデートの予定をドタキャンされた。5ヶ月ぶり2回目である。

今回はドタキャンにしては早めに連絡が来たため僕だけが待ち合わせ場所にいるという悲劇は生まれずにすんだものの、それでもドタキャンはドタキャンだ。やはり気持ちのいいものではないし、好きであってもいくらかの怒りは湧いてくる。それを彼女にぶつけずここで陰湿に発散する僕にも問題はあるだろうが。

こういう事態に見舞われると、ふだんは自分だけが人間として落第生と思って生きている中、世界は意外と平等で、誰も彼もが愚かなのだなと思わされる。自分だけが不世出の大天才であることはないけれど、自分だけが必要のない社会の塵であるわけでもない。みんな良くも悪くも天才であり、塵なのである。

幼い頃、自分と自分以外の人間という認識で生きていた時期がある。それは思いあがりでもなんでもなく、自己以外を自分が認識できないのが不思議で、他人は全てゲームのようなPCUなのではないかと捉えていた。それほどに他人というものを捉えきれず、自分とは違う予想もつかないイキモノだと解釈していた。あるいは、それが他人の顔色を伺い、悪意に怯える臆病な現在の性格の始まりなのかもしれない。なんにせよ、昔から僕は生意気なことを考えるませたクソガキだったのだろう。

自分の他人は違う、それが卑屈さに転じるとは思ってもいなかったが、今回のような事件に見舞われると、あんがい人間はみんな欠陥ばかりで、誰かの妥協や懐に救われて生きているのだなと感じる。もちろんそれがわざとではないにしても、だ。事実、今日彼女は僕の懐の深さに救われているだろう。ドタキャンされていいよいいよ仕方ないよとノータイムで言える彼氏なんてそうはいない。むしろいては困る。そういう悦に浸ることで、僕の優しさは構成されている。とはいえ、無尽蔵の優しさ、懐の深さから来るものではなく、単なるナルシズムだ。いずれ溢れ出た不満が僕たちの仲を引き裂くのは目に見えていると言えるだろう。

 

ブログぜんぜん書いてないなー私生活充実してるからなーと思って下書きを開いたところ、このようななかなか熱い記事が発掘されました。おそらく結びが思いつかず、もしくはあまりいい文章じゃないと思ってお蔵入りにしたのでしょうが、改めて読むと自分はなかなかいい文章を書くなぁと思い、この度メイン入りさせる運びとなります。ちなみにまだ別れていません。末長く続けばなあと思っています!2022年もたくさん文章を書いていきたいです!