回復したい日々

いろいろ書いてます

天体観測

 

何度か触れてはいるが、僕は現在、軽音楽部に所属している。パートはベースだ。

ベース自体は中学3年生の頃には持っていたが、いかんせん一人でどう練習していいのかわからず、大学生になって入部するまでずっと部屋のインテリアとしての役割しか果たしていなかった。コロナを超えた大学2年生、その時に軽音部に入らなければ、中高と何も変わらない、偏屈なこれまでの僕のままで一生を終えていたと思う。

初めはなかなか馴染むことができなかった。初心者歓迎を謳ってはいても、やはり初心者と経験者での馴染むスピードには雲泥の差がある。もともと僕は人間としてなにか特殊なものを持っているわけではない凡人であるので、初心者であってもなにか人を惹きつけることはできなかった。もし初期から同期が多くいたら、僕自身の存在はかなり霞んでいたことだろう。このことだけは、コロナに感謝できる唯一のことだった。最初は馴染めないことに嫉妬にも似た絶望を抱いていたけれど、少し経てば僕という存在は受け入れられ、仲良くしてくれる先輩や後輩も増えた。僕は徐々に、軽音部員としての自分に違和感を持たなくなっていった。

約1年間、いろんなことがあった。ベースは多少は勝手がわかるようになってきたし、軽音の活動以外でも遊びに誘われ、自分ひとりでは経験すらなかっただろうさまざまなことができた。総括してみればかなり恵まれた大学生活を謳歌していると言えるだろう。

音楽の面でも、たとえば僕は一つのバンドをひたすらに聞くことが好きだが、軽音に触れていると友人たちから様々なバンドが僕の耳に入ってくる。そうして見聞が広がっていけば、僕も音楽の楽しさというものがわかってくる。陳腐な言い方だが、音楽の素晴らしさというものを肌で感じ続けた1年間だった。

しかし、それと同時に周りとの距離も感じている自分がいることにも気がついた。冒頭でも触れたが、やはり僕は初心者であり、いろいろな曲に詳しいわけでも、自発的に音楽への興味を持っていた訳ではないため、こと音楽の話となると自分の知識不足に尻込みしてしまい、わかったような相槌を打つことが多かった。目を輝かせて音楽について話す人たちの前で、僕が偉そうに講釈を垂れることなど到底できなかった。

また、ベースも多少弾けるようになったとは言え、初心者に毛が生えた程度のものだ。元来緊張しいなため、ライブとなると練習通りに弾けるどころか、うまくできていたところもミスしてしまった。一緒に演奏をしてくれた人はそんなこと気にせずに楽しかったと言ってくれはするが、僕は自分が足を引っ張っている事実から目を背けることはできなかった。思い返してみれば、僕はベースを弾いて楽しかったことよりもうまくいかずに後悔したことの方が遥かに多い。こんな情けないこと言えないし、だったらもっと練習しろって話だが、そういう言葉はグッと堪えて背中をさすってくれたらありがたい。

この1年間で、僕はプレイヤーとしてより消費者として音楽に触れることが好きなんだろう、ということがわかった。たぶん、軽音楽部を引退したら自主的にベースに触れることはないと思う。それでも、何度かあった楽しかったライブの日や、自分なりにうまくいった時の興奮は一生忘れないだろう。ベースを弾かないからと言って、僕の中から軽音楽部の思い出が消えるわけじゃない。むしろ、僕という人間からしたらもったいないくらいの輝かしい記憶と共に人生を歩き、いつか振り返って笑うことができるだろう。

 

明日は、学園祭がある。3年生として、軽音楽部を引退する前の最後のライブで、僕はベースを弾く。これを読んでくれた誰かが、頭の片隅で僕を応援してくれたらありがたいです。悔いのないように頑張ります!