回復したい日々

いろいろ書いてます

ソラニン

 

実家で暮らしていると、とくに何の労力を割かずとも毎日を生きることができる。ご飯や洗濯、掃除などは基本的に親の仕事になっていて、学生である僕は学校へ通ってさえいればお咎めはない。そんな生活に慣れていると、本来は当たり前ではないはずの人生や生活はたちまち自己の一部として磨耗してしまう。この気づきですら、なにか大切だったものを失ってからようやく目の当たりにするのだろう。

学校からの帰宅途で、僕は彼女に別れを告げられた。彼女は元来女性の方が好みであり、最近になってそれをさらに自覚したらしい。 嫌いになったわけではないんだけど、いまの気持ちのまま付き合うのは浮気も同然で、そんな申し訳ないことはできない というのが彼女の言い分だった。

僕は突然のことに頭を抱えるどころか、状況を理解することができなかった。いや、厳密には突然ではない。最近のことだが、なんとなく彼女の反応が悪かったり、つれない態度を取られていた認識はあった。けれどもそんなものは一過性のもので、深く考えなくてもよいだろうと見て見ぬフリをしていたのである。とはいえ、その弊害がこんなにも早く現れるとは思わず、とにかくその時は一旦後日に回し現実から目を背けることしかできなかった。

その日が来るまでは1日がずっと憂鬱で、これまでの写真やもらった手紙、LINEのやりとりなどを見返しては、もう戻れない楽しかった日々へと想いを馳せることで心を紛らわせた。それでもやはり食事は喉を通らないし、普段あんなに寝ているのに、この時だけはうまく微睡むことができないほどに不安な日々が続いた。今日の話は何かの間違いで、ドッキリか何かなのではないかとどれだけ考えただろう。

けれど、当日になってしまえばあっさりとことは運んだ。まるでドッキリなんかではなく、つつがなく僕らの関係は終息へと向かっていった。しかし顔を突き合わせて喧嘩別れなどをすることはなく、何気ない雑談やこれまでの想い出を語り合い、円満に終わりを告げることができた。お互いにこれまでの感謝と、これからも友達としてよろしくね、という明るい未来への展望を交わし、笑顔で恋人関係を解消することができた。

いや、半分は嘘だ。僕は途中で泣いてしまい、若干ではあるがシリアスな時間が流れていた。彼女も瞳に涙を浮かべていて、楽しい時間を過ごせていたのは独りよがりではなかったんだと知ることができた。とはいえ、別れ話であんなにも涙を流したのはこれが初めてである。

自宅へ帰る時には、夕食の時間になっていた。どうやら涙を誤魔化すのにかなりの時間を外で過ごしていたらしい。廊下を歩くや否や、両親のやかましい言い争いが耳に入ってくる。それらを振り払い自室で1人横になると、楽しかった思い出たちや、もう隣にはいない女の子の、向日葵のような笑顔がふと頭を過ぎる。悲しい結末を辿ってはしまったが、素敵な恋愛だったことには間違いなかった。いつかまた2人で会うことがもしあれば、あの後こんなにクサい記事を書いていたんだよ、なんて言いながら2人で懐かしい話をしたいものである。両親の笑い声に耳を傾けながら、そんなことを考えていた。