回復したい日々

いろいろ書いてます

懲役85年

 

バイト、部活、サークル。様々なところで諸手を挙げて人員を募り、団体の存続を図る。仲が良く、作業に慣れた上手い人たちだけでずっと固まっていることは安定はしても、その後に待っているのは収束であり、終末である。古臭い言い方だが、やはり新しい風というものは必要であり、古参はいずれ去っていくというのが社会の常である。

 

僕は、大学2年生にして軽音サークルに所属している。音楽の経験はピアノくらいだが、ビラに書かれた「初心者大歓迎!」という文言にまんまと弄ばれ、気づけばドアをノックしていた。先輩も、同輩となる経験者達も快く僕を受け入れてくれ、軽音人生のスタートを気持ちよく切ることができた、とこの時は思っていた。

現実はそう甘くはない。なんだかんだ言ったところで経験者がもてはやされ、初心者は淘汰されていく。仲の良い彼(以降、彼と記述する)は高校からのベーステクニックを遺憾なく発揮し、先輩同輩後輩、三輩から引っ張りだこである。それに対して僕はといえば、うだつの上がらない不協和音を奏でるベースを持っては、サークル内で鬱陶しく思われている経験者に誘われるがままに数曲指を動かしているのみだ。誘われるだけありがたいのは確かだが、僕が思い描いていたサークル人生とはだいぶかけ離れているのもまた確かである。隅っこに固まり、迫害された者同士傷を舐め合うことなど望んではいない。僕だって主人公毅然とステージに立ち、スポットライトを浴びる瞬間を欲している。

 

現実は非情だ。彼と歩いて先輩と鉢合えば、先輩が話しかけるのは僕ではなく彼で、先輩が遊びに誘うのも僕ではなく彼である。彼は楽しそうに話してはいるが、彼はその時僕が曖昧に口角を浮かべ、力無く笑う情けない表情をしていることは知らないだろう。やりたい曲について話し合っている時、僕が除け者になっていると思われないために用もなくスマートフォンを起動させていることなど知らないだろう。初心者か経験者か、その違いがここまでの階級の差を生むのである。きっと先輩や同輩にとってみれば僕単体には価値がなく、彼と仲がいいから僕という存在が認知されているだけだ。なんとも情けない話である。

 

どいつもこいつもバカばっかりで、単位を落としそうだとか、留年するだとか、今日は授業をサボるだとか、学生の本分であるはずの勉強を疎かにすることをステータスとしている。彼もそのひとりで、午前の授業は高確率で寝坊し、その度に代返を僕に頼んでくる。寛大で寛容な精神の持ち主である僕はそれを断ったりなどしないが、それをして彼と親交を深めたところで、待っているのは引き立て役の末路だ。こんな無様な道化を、僕はいったいいつまで演じていればいいのだろう。いや、その気になりさえすれば終わらせることなどいつでもできるのだ。問題は僕自身がそれを恐れ、繋がりを断つという選択肢をはなから除外し、蓋をしている。そうやすやすと彼との関係、ひいては軽音サークルでの関係を断ち切ることなどできはしない。結局居心地が悪かろうが、いまさらあとには引けない。察されたくも、同情されたくもない、涼しい顔をし、なんでもないフリをしてサークルに居続けることが僕のささやかな復讐である。

 

誰に言うでもない呪詛をつらつら書き連ね、明日からまた笑顔で活動をする。あいつら全員肺がんで死んでしまえばいい、人生のスポットライトを浴びながら最期に嗤うのは俺だと、そう信じて。