回復したい日々

いろいろ書いてます

イエスタデイワンスモア

 

小学生のころ、朝の会では男女ペアの日直が司会となって進められていた。朝の挨拶、連絡事項、今日のニュース、今月の目標などがお題目として掲げられており、なかでもニュースと目標は小学生にとっては鬼門で、前もって準備してくるように言われた覚えがある。しどろもどろになりながらなんとか喋り、先生からのダメ出しに一喜一憂したり、右から左へ流したりしていた。

小学校を卒業し中学生になると、朝の会というかわいらしい催しはなくなり、代わりにホームルームという大人びた名前の時間にすげかわった。そこではニュースも目標も言う必要はなくなり、それどころか司会進行は担任の先生がすべて請け負ってくれた。英語担当の先生が唯一流暢に日本語だけを話す時間だったかもしれない。ともかく面倒ごとが消えたことに安心した。

大学生になったいま、もはやホームルームすらもなくなった。好きに時間割を組み、好きな時間に登校し、好きな時間に帰る。サボっても怒る先生はいない。連絡事項はすべて大学の公式サイトに掲示され、講義以外で先生と話す機会もほとんどない。自由さと冷徹さがそこにはあった。

こうして振り返ってみると、歳と学年を重ねるにつれて毎日をおざなりに生きているように思える。小学生のころは周りの環境に縛られつつも、その中で1日をがむしゃらに過ごしていた。大学生のいまはある程度の自由を与えられつつも、だるい眠い帰りたいと怠惰な日々を無生産に過ごしている。縛られないことはある程度の解放感を得られるが、反発力を喪失するために張り合いのないつまらない毎日だと錯覚してしまうのだろう。

大学生という大人に片足突っ込んでいるいまだからこそ、朝の会は必要なのかもしれない。声を出して身体を鼓舞し、目標を声高に主張することが無生産へのカウンターなのではないだろうか。さしあたって僕の今月の目標は「授業を真面目に受ける」ことである。板書をサボってまでこんな駄文を書き連ねている場合ではない。

 

今週のお題「今月の目標」