回復したい日々

いろいろ書いてます

みかんと大金、ときどき手紙

 

僕の人生において、横書きで文章を書く時、これを書いていることからも分かる通り、左から右に書くのが当然だと認識している。もちろんそれが戦後の米国の教育による賜物であることは間違いない。とはいえ、僕の中で左から右に文字を書くというのはもはや常識となっており、誤解を恐れずに言えばあとから上書きされた文化だという認識はほとんどなかった。

 

しかし、僕のこれまでの思い出の中にひとつ、常識という言葉では片付けられない出来事がある。それは曾祖母、ひいおばあちゃんからの手紙だ。大正生まれの彼女は不定期に僕たち家族にみかんを送ってくれた。しかし僕らの楽しみはそれではなく、食べ物の中に混ぜ込まれた茶封筒にあった。いつも必ず入っているその封筒を開くと、小学生にしては考えられない大金がそこには入っている。彼女は僕らにお金を送ってくれていたのだ。僕と姉は大金に小躍りし、普段は億劫な電話にも嬉々として応じていた。

さて、その大荷物の中には不定期に手紙も入っていた。歳を重ねた人らしくくずし字で書かれていたその手紙は読みにくくはあったが非常に達筆な字だったと記憶している。ほとんどをななめ読みで済ましていた可愛げのない子供だったが、一度だけ、右から左へと書かれていた手紙だけは、僕の心に今もなお痛烈な印象を与えている。後で聞いたところ、少しの茶目っ気から意図的に書いた手紙だったそうだが、その手紙は幼い私にとっては不思議で、どことなく恐怖心を煽られるような代物だったのである。

 

それから時はしばらく経ち、僕が高校3年生、ちょうど平成最後の時、彼女は老衰でこの世を去った。すでに先は長くない、と医者に言われていたそうだ。それを聞いた私は何故かあの手紙を思い出し、短い文章をそれに倣って書いて彼女に送った。受験ということもあり、彼女の葬式には参加できない私の、せめてもの手向けである。きっと彼女がその手紙を読む時、驚きこそすれ違和感、まして読むのに不都合を感じることはほぼないだろう。それは大正、昭和、そして平成時代を生き抜いた曾祖母の常識なのだから。