回復したい日々

いろいろ書いてます

ディアマン

 

大学生ともなると、太陽が顔を出している時間だけ遊ぶということは少なくなる。加えて、大学生にはお酒という麻薬が解禁され、遊ぶと言えばお酒を飲んで馬鹿騒ぎという大人ぶりたいお年頃でもある。このご時世、その催しを気軽に開催することはできなくなったが、それでも世間が許し始めてからは緩くも暇を見つけては赤ら顔で笑い合うようにもなってきた。その代償と言っては大袈裟だが、やはり外で駆け回ることは少なくなってしまっている。

私の大学では、去年喫煙所が閉鎖された。例に漏れずご時世を鑑みた結果であることははたから見ても容易である。行き場をなくした喫煙者たちは、学校のすぐ近くにある公園に行くようになっていた。その公園は喫煙可を大々的に謳ってはいないものの、近所のひとも吸う場所に認定しているほどには紫煙で覆われており、その様子はまるで喫煙者たちの最後のユートピアのようであった。

私の友人は、格段に喫煙者が多い。軽音サークルとはそういうものだと思えばそこまで不思議でもない。喫煙所が潰れてからというもの、私は空きコマの暇つぶしに困ってはその公園に赴いていた。必ず誰かが煙をくゆらせていたからだ。私自身は煙草を吸わないが、仲の良い先輩や同輩、はたまた後輩はほとんど吸っていたため、その公園で過ごす時間は私にとっても楽しい時間になっていた。

しかし、学校側もそれを黙認するほど放任主義ではなかった。去年まではいなかった見回りの老人たちがパトロールを行い、治安維持を保とうとしていた。もともと近所でも喫煙を黙認されていた公園での禁煙を呼びかけ始めたのである。ヤニを欲する彼らにとっては天敵でしかなく、喫煙を咎められないように、発見されないようにこそこそと吸うようになっていた。もちろん悪いのは勝手に吸っている私たちなのだが、身内ということもあり少し同情的に考えてしまうところもあった。

足繁く通ううちに顔見知りになった男性がいた。彼もここで煙草を楽しむ1人であり、追いやられ行き場をなくした喫煙者を快く迎え入れてくれていた。私たちがこちらへやってきたせいで彼も見回りの老人に冷ややかな目で見られる羽目になったのにも関わらず、そんなことは我関せずと言ったように笑い飛ばすような快活な人だった。俺たちみたいな部外者が1人で吸ってた時は来ないくせにな、とこちらの味方に立つような発言もしてくれていた。私たちはそんな彼と世代は違えど友情めいたものを感じつつあった。

程なくして今学期を迎えると、大学の喫煙所が復活したというニュースが耳に入ってきた。移動中ふと目を見やれば、公園で見かけたことのある誰もがそこで煙草を吸っていた。心なしか公園で吸っていた時よりも笑顔で、晴れやかな印象を受けた。やはり彼らも定められていない場所で吸うより、許可された場所の方が気持ちよく喫煙できるのだろう。実際、私たちも人目を気にする必要はなくなり、罪悪感が僅かに胸を苛むことは無くなったように思う。やがて、授業の後に会う時はそこが集合場所となっており、足繁く通っていた公園に赴く人はもうほとんどいなくなっていた。マナーを守っているのは間違いなく現在だが、私は時折、ルールを無視して公園で過ごし、学校という垣根を越えた彼と過ごした時間を思い出す。彼は今でも公園で人目を気にしながらこそこそ吸っているのだろうか。いつか私が喫煙者になったらその公園に行って報告したいと思う。そして、同じ罪悪感を胸にしまいながらそれをかき消すように笑い合いたいものだ。まあ、喫煙者になるつもりは今のところないけれど。

 

今週のお題「好きな公園」