回復したい日々

いろいろ書いてます

酔いどれ心中

 

アルコールを摂取するとよく笑うようになる。

元々の性分からしてよく笑う方なのだが、お酒を飲むとそれがより顕著になる。ゲラというやつなのだろうか、泣いたりキレたりする酔い方ではなくて本当によかったと思うばかりだ。

自分で言うのもなんだが、普段は世間体や有り余るほどの自意識ゆえか、冷静というか恥をかかぬよう慎重に振る舞っている節がある。考えすぎとも言えるかもしれない。お酒を飲んだとてそれが急になくなるわけではないけれど、ある程度理性が緩むような心地がする。あるいはお酒を免罪符に多少馴れ馴れしくしても許されるかもしれないと言い訳しているのかもしれない。

 

どこかにもう1人の自分、客観視する自分が潜んでおり、お酒に身体をつっこもうとする自分を半ば批判するような形で自制してくれている。それが良いことなのかどうかは未だに判断しかねていた。体よく述べたって、結局のところうまく酔えていないというだけだ。なんとなく酔ったふりをして、なんとなく酔った人がとりそうな行動をコピペしている節が拭えない。そもそも酔えていたら文章なんてこねくりまわそうと思わない。友達に手を振って別れてから急に冷静な自分が帰ってくる。気持ち悪いことはあるけれど。

 

けっこうみんなこんな悩みは抱えているものだろうか?なんとなく見返してみて酔えないと悲観する自分に酔っているような気持ち悪い文章に吐き気がしてきた。生産性なんてブログに求めてはいけないけれど、それにしたってあまりに無利益で、掃き溜めのような内容である。お酒を飲んだ時くらい自己卑下や自意識過剰なんて捨て去りたいものである。最初の書き出しなんて「よく笑う」なんていう非常に明るく可愛らしい内容なのに、なんで気づけばすぐ呪詛のような文章を書いてしまうんだろう。前向きに生きようなんて決意したところで、長年ネガティブをやってきたネィティブなため、一年やそこらで矯正できるはずなんてないのだけど。

 

そんなことを思いながら、東西線に乗って帰路に着く。家に帰ればすき焼きが待っているが、アルコールで満たされた胃袋に肉を泳がせるのはあまりに忍びない。どうせから次の日に支障が出るほど飲んでおけばよかったと思うばかりだ。それは嘘かもしれない。なんにせよすき焼きに罪はないし、アルコールにも懲役は必要ない。世界にも、そしてもちろん自分にも罪悪を感じるにはまだまだ甘すぎる。しばらくはモラトリアムと自己愛に身を浸して生きていきたい。

 

考えもなしに書き始めるとオチどころか内容も支離滅裂である。やっぱり酔っているのかもしれない。そこに笑顔はないけれど。