回復したい日々

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コミュニケーションのススメ

 

基本的に安定を求め保守に甘んじる僕にとって、何かが変わるというのはあまりうれしくないことだ。わかりやすい例が進学で、大学生になるということは人間関係のリセットが行われ、これまで僕が築いてきたキャラクターや人となりが全く通じない場に身を置き直す。中高一貫校という、リセットとは縁遠い甘ったれた生活を六年過ごした僕の背中には、より一層深い重荷が背負われていた。ちなみに、いまのところ新規の友達は一人である。

 

ほかにも僕が変化にストレスを感じる理由が一つある。それは僕自身の容姿である。自己評価の範疇を出ないが、僕はなめられやすい見た目をしている。わずかに人より多く蓄えた脂肪、ノーセットのくせ毛、一重で腫れぼったい目、ここまであげれば十分だろうか?なお、なめられやすい以前になんとかできる部分があるだろうという意見は受け付けていないのであしからず。髪の毛をセットするのは苦手なのである。

 

大学生となると、これまでとは違い、大人に片足突っ込んだ人たちと交流を迎えることになる。生半可な気持ちでは雰囲気に呑まれかねない。

そんなわけで、髪を染めた。ブリーチである。ハゲる未来と天秤にかけたが、年をとれば誰しもなめられることに気がついてからはあっという間だ。仰々しい機械で髪の毛を熱され、もだえながらつかんだ金髪。美容院の鏡には、見慣れない髪色にうろたえる滑稽な自分が映っている。僕の髪を切ってくれたお姉さんは似合っていると太鼓判を押してくれた。実際、自分が思っていた何倍も似合ってはいた気がした。

とはいえ、金髪になったばかりの時は自分ごときが気取ってんじゃねぇよという多大なる自意識と恥ずかしさが混在しており、「意外と似合ってるなぁ」等と感想を抱くまで慣れるのはそれなりの時間がかかった。

 

この「慣れ」というのはすさまじいもので、自分が嫌だとか恥ずかしいだとか感じていることでも、1ヶ月も経てば素直に受け入れることができるし、なんなら多少の愛着や楽しさまで見いだすようになる。実際、パン屋でバイトをしている僕は、はじめてパンを焼くときに釜が熱すぎてバイトに行きたくなかったが、2ヶ月もしたらのんきにハミングを響かせながら釜に手を突っ込んでいた。継続は力なり。けだし至言である。

 

ただ慣れるだけではない。ほかに僕が金髪にお世話になったポイントがある。それは対人関係だ。黒髪の時は女性と話すのが本当に苦手だったし、下手をしたら男性とも初対面の場合話せないほどだったが、金髪にしてからは女性ともずいぶん自然に話せるようになった。黒髪時代に感じていた金髪への偏見が、いまブーメランとして帰ってきているのである。「金髪ならコミュニケーションがうまくて当然」「金髪なら気の利いた雑談ができて当然」「金髪はすぐにスタバに行く」などなど。おかげでこれら上記のことに躊躇することが逆に恥ずかしくなった。とはいえ、黒から金になったことで、明らかに社会との関わりが上手になったのである。

 

そんなわけで、引っ込み思案でコミュニケーションが苦手な僕は卒業した。自信満々に大学生になることができる。そう信じ参戦した初めての体育の授業では、天真爛漫に初対面の人と親しげに会話をする茶髪の男にすべてを持って行かれた。彼はすでに授業の中心人物となっていて、どんな人とでも親しげに会話を繰り広げ、しまいには連絡先の交換まで自然にやってのけていた。かりそめの金髪は音を立てて崩れ落ち、残ったのは18年の年季を誇る黒々とした髪だった。僕は彼と会話をしないようなるべく距離を置き、更衣室でも手早く着替えを済ませてその場を後にした。

 

それ以来、体育の授業には行っていない。僕は確信した。真の強者は、茶髪である。

 

お題「#この1年の変化