回復したい日々

いろいろ書いてます

無味乾燥な日をひたすらに脚色して書く話

目を覚ますと、そこは一面の銀世界でした。

 

なんてことは無く、普通にいつもの部屋の天井だった。

まだ覚醒していない脳味噌が見当違いな見解を導き出してしまったのは、ここのところ続いていた温暖が嘘のような寒さを肌で感じたからだろうか。

半袖で寝るにはまだ早かったかと後悔しながらスマホで9時を確認する。意図せずベストタイミングな時間に覚醒してしまった喜びをひしひしと感じた。

覚醒してから文明に興じることしばし。ようやく愛する寝床に別れを告げ、腹を満たす旅に出る。ここのところ麺類続きだったこともあってか、空腹は丼物を欲しているようだった。冷蔵庫を漁り、牛丼をハント。3分間熱と踊り、汗をかいた牛を米へとダイブさせる。僕の頬がつい緩んでしまっていることを空腹が教えてくれていた。

丼物は箸で食べるのが僕の美学だ。しかし、恥も外聞もかなぐり捨て、まるで獣のようにスプーンでかっ食らう牛丼もまた乙なものだ。外でこんな食べ方はできないが。

さて。ここまでは今日という試練を乗り越える為のガソリンに過ぎず、むしろここから走り出すのだ。僕はこれからの予定へ対する不安と憂鬱を宥め賺し、家をあとにしたのだった。

 

 

電車に揺られ、人混みに揉まれ。どうにかこうにか辿り着いた場所で、指定された席に座る。隣に座る人の目線に少しばかりの動揺を覚えつつ、僕は表面的には平静を気取っていた。

暫くしてやってきた、何やら奇抜な格好をした教師による講義。格好とは裏腹に繊細な言葉遣い、多大なる知識量に圧倒されながら、自分の無知を実感。劣等感と好奇心という従兄弟にもなれない感情を同時に刺激されていた。なお、眠気もあとから追いついてくる。彼と僕はいつだって仲良しな兄弟なのだ。

 

講義を終えた僕らは、みなめいめいにその箱から出てへと戻っていく。クールである種冷血とも取れるその態度によって構築されている関係性が、僕は意外と嫌いではない。たかだか数日の間だけの中で今後会うかどうかも分からない生命体と接触を図るよりも、一人孤高に目の前の状況を受け入れる方が楽だし、お互いのためだ。関係を作ることが必ずしも人の幸福に繋がるとは限らない。人と人との関係性なんて煩わしいと感じることがほとんどで、たまに見つけた幸福を手にしてそれ以外のすべての不幸を全力で否定しているに過ぎない。自分が信じた行動を否定したくないために、本来あるべき形を否定する。なんて残酷な世界だろう。

 

そんな益体もない詭弁を脳味噌が執筆しているうちに、最寄り駅二つ前の駅に到着した。そこからは徒歩で家へと帰還するのが最近のマイブームだ。寒い夜に好きな音楽を聴いて感傷に浸りながらひたすら歩く。言語化できないエモさを簡単に感じることが出来る。エモとは、ありふれた日常の中でこそ輝くのだ。

 

歩を進めることしばし。とあるラブソングが流れてきた。

「愛してるふりをして   Iだけを見ていたんだ」

初めて聞いた時はなんのこっちゃと思ったものの、歌詞を見て驚いた。とても初めてラブソングを書いた人とは思えない言葉遊びだった。たぶん、僕の好きなアーティストだからかなりのえこひいきが混じっているが、それでも素晴らしい表現だ。

確かに、人は、自分以上に誰か他人を愛するなんてなかなかできない。刹那的な感情で愛してるなんて嘯ける人間の言葉に愛を語る術はないだろう。言葉にして伝えるのが大事という御高説を賜る事もあるが、そもそも"愛"なんて言葉ひとつに形容できるほど俺の気持ちは単純じゃないんだ、と思ってしまう。だからこそ、言葉にできない。なりようもない。

 

なんて、誰かを愛したこともない自分が偉そうに愛について考えているうちに、目的地に到着した。鞄から鍵を取り出し、鍵穴を捻る。小気味よい音が耳に幸福感をもたらしたことを感じつつ、僕は扉を開けた。中から差し込む光に包まれた僕は、後ろ手に扉を引き、外をあとにしたのだった。

 

 

 

https://youtu.be/BusNdBQQvYY

愛しい君へ

こんな所に自分の感情を吐露したところで君に伝わるわけじゃないけれど、直接言うのは恥ずかしい僕の気持ちを察してもらえたら嬉しいです。

 

これまで、たくさんの時間を僕と過ごしてくれてありがとう。

こんなひねくれた性格で、皮肉や屁理屈のオンパレードな僕を面白いと言って仲良くしてくれたこと、素直に嬉しく思います。

君が考案したいろんなゲームをしている時の思い出や、仲良しの証といって僕にくれたたくさんの手紙は、今でも僕の大事な宝物です。

初めて貰った手紙と、最近の手紙を見比べてみると、まだ距離感を掴みきれていないのかどこか余所余所しい感じでつい笑ってしまいます。

 

突然君につけられたあだ名も、最初は違和感しかなかったけど、今では名字で呼ばれる方がムズムズして変な感じがします。慣れというのは恐ろしいものですね…。

 

そして、2人で育ててきた○○○。最初はなんて突拍子もないことを言い出すのかと思ったけど、いざやってみるとどんどん成長する○○○を見て2人でよく笑いあいましたね。よくお世話を忘れて君に注意されましたね。その節は本当にごめんなさい(笑)

でも、そんな事すらも今となっては愛おしい思い出です。

 

どんどん卒業の日が近づいてきて、2人でお互いに寄せ書きをしましたね。「言葉を尽くすより簡素な方がカッコいい」と思って決めた僕の言葉より、君の素直な言葉の方がよっぽど響くことにすこし不満を覚えます(笑)

 

 

さて。

いよいよ、卒業ですね。

まだまだ君との思い出は語り尽くせていないけれど、あまりだらだらと未練がましく過去を語るのはカッコ悪いので、これで最後にします。

 

 

君と毎日話すことが出来なくなるのは、正直、とても寂しいです。

でも、一生のお別れではありませんよね。

いつかまた、きっと会いましょう。

 

それまで、少しだけお別れです。

 

さようなら

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

りんな

 

※ ○○○=まりも

 

今週のお題「卒業」

拝啓、おばあちゃんへ

今週のお題「わたしとバレンタインデー」

 

僕にとってこの日はおばあちゃんからチョコを貰う日です。頼みの綱(?)だった姉からはついに貰えることはなくなり、姉から貰えるのは作った後に余った溶けたチョコか、友達から貰ったけどなんか不味そうなやつでした。いや自分で食えよ。

 

おばあちゃんは毎年くれるんですね。おばあちゃんはよく家に来るのですが、2/14になるといつも「今日はチョコだよ」とにこにこしながら僕に渡してくれます。中学生の頃はなんだか複雑な気持ちでしたが、今となっては年をとっても変わらず笑顔で僕にチョコをくれるおばあちゃんをかわいらしく思っています。ちなみに去年はDARSでした。

いっとき、姉が付き合っていた時は、彼氏へ手作りクッキーを渡すためにおばあちゃんと一緒に作っていた時期があったのですが、その時はおばあちゃんからクッキーを貰っていました。頼られることが嬉しかったのか、ついつい大量に作ってしまうおばあちゃん。「○○ちゃん(僕)が食べるからいいよね」とどう見ても一人分の量ではない程のクッキーを生産してしまうおばあちゃん。はりきり屋さんですね。

 

 

そんなおばあちゃんですが、少し過保護なところがあり、もう高校生になってしばらく経った僕を未だに幼子のように心配してきます。体調は大丈夫だとか、1人で家にいて大丈夫か、なにか困ったら電話してねだとか…。

今でこそかわいらしいなあと思う僕ですが、一時期は反抗期を迎えており、そんなおばあちゃんに強く当たってしまったこともありました。反省しております。ごめんね、おばあちゃん。

 

 

そうそう、最近のおばあちゃんのかわいいエピソードといえば、おばあちゃんの家に行った時に、背が伸び肩幅も広がり、だいぶ男の体格になった僕を見て「大きくなったね〜」と言いながら僕の背後に回り、「ほら、おばあちゃん隠れちゃう〜⤴︎」と無邪気に発言していました。非常に和みましたね。ちなみにこの話する度にやってくれます。かわいいですね。

 

最近は僕が受験生なので、「勉強大丈夫?」と家に訪れる度に聞いてきます。何度僕が「頑張ってるよ」と言っても、次来る時にはリセットされています。これはもはやおばあちゃんというか受験生あるあるですね。受験失敗したらごめんよ、おばあちゃん。

 

 

 

まだまだおばあちゃんエピソードは沢山ありますが、長くなってもくどいので今日はこの辺で終わりたいと思います。

今週のお題 「わたしとおばあちゃん」、皆さんいかがでしたか?今度はみなさんのおばあちゃんエピソードを教えてくださいね。

 

自分のことが嫌いな自分が好き

ブログ書くの楽しい

 

さて、皆さん自分のことが好きですか?

僕は中学三年生半ばまでは自分のことが大好きマンでした。

顔面がちょっとアレなのには中二の途中で気がついてはいたのですが、「まあでも普通だよな」といい感じにポジティブに誤魔化していました。なんなら僕は中学からバスケ部に所属したために激ヤセしたので、ますます自分に自信を持つことは自然な流れでしょう。

 

(ちなみに中二の時に友達と話している流れで「お前は顔で勝負する奴じゃないよ」と言われた時に、「ああ、俺ってブサイクなんだな…」と笑いながら痛感したのはいい思い出です。新井マジで○ね)

 

しかし中学生というのは多感な時期で、少しのきっかけで自分なんてものは容易く瓦解してしまうものです。

僕の"中学三年生"という時期は、今の僕を形成した時期でもあり、もう二度と戻りたくはない時期でもあります。それなりに楽しかったけどね。

 

マジで中二の時まで陰口とか愚痴なんて全然言わないタイプだったからね。まあ今も別に率先して言う訳ではないけど!

 

とにかく僕はその時期から、自分に自信が持てなくなっていってしまいました。補欠だったけど頑張って続けることを決めた高校バスケ部も辞めました。ほんとに病みました。マヂで。。

自分の嫌なところばっかりよく見える(或いはそこしか見えていなかった)のに、自分のことが好きなわけがありませんよね。中二とは真逆の状態に陥りました。

顔も、声も、髪型も、頭が悪いことも、面白いことが言えないことも、スポーツができないことも、全てにコンプレックスを抱いていました。なんなら今でも思ってます。

 

でも、僕が唯一許せたのは、自分の「性格」でした。

何故か分からないけど、自分のことが嫌いという事実を「自分をより客観視出来ている」へと昇華させていたのです。或いは、「ほかの人からしたら迷惑がられているかもしれない自分を否定できてるだけ、周りが見えていて大人だ」と思っていたのかも知れません。ネガティブなのかポジティブなのかわからなくなってきました。卑屈もここまで来るとすごいですね。

 

そういうわけで僕は、「自分のことは嫌いだけど、嫌いという判断を下せる自分が好きだ」という、なんとも拗らせた性格になってしまいました(現在進行形)。最近ようやく「自虐ネタは度が過ぎるとあまり笑ってくれない」ということに気がつきました。反省していきます。

 

なんだか意図せず重い話になってしまった気がする…ほんとはユーモア混じりにするつもりだったのに…。

次ぐらいは面白い話を書きたいな…

 

では次回、「好きな女友達にメール送ったら大量の迷惑メール来ちゃった!」編でお会いしましょう!ばいば〜い!(※内容は予告無く変更する場合があります)