回復したい日々

いろいろ書いてます

ショートチューン

 

基本的に、自分は凡庸な人間だと思う。

世の中には傑出した方が多く存在していて、自分個人なんて大した存在でもない。豪速球とホームランを携えた才能はないし、たくさんの人々を感動させる歌が歌えるわけでもない。人を笑わせることに長けているわけではないし、天才的な頭脳を持っているわけでもない。これと言って特殊なものは持ち合わせていないが、それでも生きていくにはとくに困ったことはない。普通に生きて、普通に死ぬ。それが自分を含めた多くの人の人生だろう。

それでも最近は人生は激動だと感じる場面が多くあった。気がつけば四月から、生まれてずっと暮らしてきた東京を離れて名古屋に住まなければならなくなった。とりあえず物件を探し、引越し日時を決め、予定が合わずキャンセルし、会社に頼んで日時をゴリ押ししてもらい…。自分でも実体を伴わないうちにあれよあれよと名古屋勤務への準備は着実に進んでいた。周りの友人に名古屋へ行くことを言うと惜しまれたり応援されたりして、ようやく名古屋は自分にとって逃れようのない現実であることを知った。これは非常にどうでもいいことだが、最後にご飯でも食べに行きましょうとある女の子に誘われ、気がついたらお付き合いして1ヶ月とちょっとが経った。自分の人生に遠距離恋愛という経験が加わるとは思っていなかったが、やれやれ本当にどうでもいいことである。

引越しの段取りもようやくついて一息つき、久しぶりにバイトに行った。大学のサークルで知り合った、今はフリーターの先輩も変わらずそこにいた。業務がすべて終わってから2人で外に出てタバコを吸っていると、先輩は介護の道に進むことを僕に打ち明けた。将来について目を背け続けていたが、ようやく楽を打ち払い現実に目を据えたと言っていた。先輩の人生も、種類は違えど僕と同様に激動だったようである。

冬にしてはやけに生暖かい夜、ふたりで紫煙をくゆらせながら、急展開すぎると笑い合った。

僕ラノ承認戦争

 

基本的に自分のことが好きだ。

現実的で客観的な思考ができるところや、楽しむときは楽しみ、盛り上がるべき時はそれなりに盛り上げることもできる。男女分け隔てなく仲良くなることができるし、付き合った人には優しく接することもできる。たまに口が悪い時もあるが、そんな隙があるところも人間的魅力というものだろう。

なかでも、僕が1番自分の素晴らしいと思っているところは、『優しい』ところである。

優しさなんて、人間誰でも持ち合わせているものだし、はるか昔から優しい男なんて掃いて捨てるほどいただろう。ただ、僕の優しさはそんじょそこらの優しさとは一味違う。ただ重い荷物を持ってあげるとか、優しい言葉をかけてあげるだとか、そんな甘っちょろいものではないのである。

では、そこまで力説するほどの僕の優しさとは一体どんなものなのか。具体例を挙げながら説明していきたい。 

 

あれは中学生の頃の話だ。仲良しの友達同士のLINEグループがあった。毎日とりとめのない会話を繰り広げているなか、その中の一人の友達からこんな相談があった。「俺が発言するとLINEが止まる気がする」。なんのこっちゃ、くだらないとは思いつつ、それ以来彼が発言したら必ず僕が返事をするようにしていた。その結果僕でLINEが止まることになるのだが、彼は安心していたし、僕もさほど気にしていなかったのでみんなが幸せになったのである。

あれは高校一年の頃の話だ。仲良し四人組で部活に入ることとなった。高三の先輩が代表の時は楽しく和気あいあいと部活動を行っていたのだが、高三が引退して以降、突如練習が厳しくなった。はじめのうちはみんなで頑張っていたが、だんだんサボり始めていき、最終的に僕以外の三人は辞める決意を固めていた。じゃあ自分も……と思いつつ、ほかに入っていた同級生や、先輩方にどうしてもと引き留められたことなども相まって辞めずに続けることに決めたのである。ちなみに、やめた三人はバレー部に入り、新しいコミュニティで和気あいあいとスポーツを行っていた。

あれは大学2年生の頃の話だ。当時付き合っていた彼女と少し喧嘩をした。原因は彼女の束縛があまりにも激しいからだった。その後向こうから『謝りたい』という連絡があり、電話をすることになった。着信に応えると、電話口ですすり泣いている彼女の声が真っ先に聞こえてきた。そこまで思い詰めていたのか、と少し反省しつつ話しかけると、彼女が口を開いてこう言った。『私、実は死のうとしてたんだ……』空いた口が塞がらなかった。当時21歳の僕に受け止められる情報ではなかった。けれど、深刻そうにこれまでの人間関係について語り出している彼女に対して、無碍にすることも、つっぱねることもできず、ただひたすら慰めることに徹したのである。ちなみに謝罪の言葉は出てこなかった。

 

….どうだろうか。いかに僕がそんじょそこらの人間とは違い『優しい人間』であるか、というのが伝われば幸いである。現在僕は友人から『性格が悪い』『ひねくれている』『怖い』と言われることが多い。心外もいいところだ。表層的な部分しか見ないで僕のことを当てずっぽうに断じないでいただきたい。僕ほど優しく、心根が善良な人間はいないだろう。けれど、そんなことに気づいてもらえなくても構わない。これを読んでくれたあなたさえ気づいてくれれば、僕はそれだけで幸せである。

Summer Vacation

 

普段は陰鬱で女々しい内容ばかり詳述しているので、たまには僕の大学生らしいはつらつとした内容でも記していきたい。

先日、とある飲み会が開催された。よくもまあこんなに暇さえあればお酒を飲めるものだと我ながら呆れる気持ちもあるが、今回は普段の、よく顔を合わせる友人との気の抜けた会ではなかった。なんとゼミが同じ女の子2人との飲み会である。厳密に言えばその会の発起人を合わせた4人での会だったのだが、なんとその本人が体調を崩してしまい、奇しくも''ゼミ飲み''と相成った。発起人が全員と友人であり、残りの三人は友達とまではいかない関係性であったのだ。同じゼミなのにその体たらくはいかがなものかと頭を抱えてしまうが、しょせん男女なんてそんなものである。つまり、多少緊張した状態でよくわからない飲み会が決行されようとしていた。

普段はクールでニヒルな私だが、結局はイマドキの男の子、女性と遊ぶともなれば多少の見栄くらい張るものである。最近購入したお気に入りのTシャツに身を包み、満を辞して彼女らと集合した。お互いに僅かな緊張感を持ちつつも、つつがなく飲み会は開催された。大学生なんて、多少アルコールを摂取してしまえばもう緊張なんてどこ吹く風である。まるで普段から遊ぶかのように場は盛り上がり、その場のノリでSNSを交換した。それだけではなく、お店を出て二件目を探す前にプリクラも撮った。これを成功と呼ばずしてなんと呼べばよいのだろう。普段は卑屈で世の中をナナメに見ている私も、アルコールを免罪符に生ぬるいイジリをしたり、ポーズを決めまくっていた。完全に浮かれていた。情けない姿である。

こんな姿を見れば、高校生の頃の自分が鼻で笑うだろう。女と遊べて満足か、いつからお前はそんな軟派なやつになったんだ、と。いや、大学2年生までそんなことを考えていたかもしれない。とにかく女子の存在しない男子校に通っていた私は、なにかとねじくれひねくれて、カミソリのように尖った人間だった。しかし、蓋を開けてみれば私は女子と何気なく会話ができて、あまつさえ男1人の状態でも、壁を作らずに気兼ねなく会話をすることのできる人間だった。あんなに嫌っていた大学生に、まんまと現在の私は成長している。しかし、そんなことに少しの嫌悪感も存在していない。むしろ、そんなことに嫌悪する方が情けないとすら思える。私は真っ当な人間として、まっすぐに道を歩いているのだ。

インスタグラムのストーリーに反応した友人がうらやましがる様子を見て、少しの罪悪感も抱かず、ただただ自慢をする男が私である。お母さん、あなたの息子は完全にリア充ですよ。ここまで立派に育ててくれて、本当にありがとうございました。

僕はきっと旅に出る

 

今日も今日とてやることはなかった。普段ならば「やらなければいけないこと」は存在しており、それでもそのタスクの重さから目を背けて、暇だ暇だと嘯いているのだが、最近は本当にやることが何もない。気がつけば教育実習も就職活動も終わりを迎えていたし、大学の課題もいざ向かい合ってみればなんの歯応えもない軟弱なものだった。倒さなければならない敵はすべて倒してしまい、現状向かい合うべき現実はどこにもないのである。

こんな状況は大学1年生ぶりだった。コロナウイルスによって自宅待機を強制されていた3年前を思い出す。あの頃は、インドアな僕すらも凌駕するほどの退屈さに、やれ掃除だの料理だのゲームだのと色々なことに手を出していた。ダルゴナコーヒーを作ってみたり、チョコケーキを作ってみたり、どうぶつの森をはじめてみたり…。思い返せばブログを本格的に書き始めようと決めたのもその頃だったような気がする。なんにせよ、3年ぶりにその波が押し寄せてきていた。繰り返すが、人はあまりにも暇だと流石に新しいことに手を出すようである。

相も変わらず生活習慣が乱れている僕は、外が明るくなる早朝の4時ごろ外に出て、ふらふらと散歩をすることにした。前々から気になっていた、23年間一度も通ったことのない道がある。いったいあの道はどこへ続いているのか、探究するにはあまりにもちょうどよいタイミングだ。コンビニで飲み物を買い、その道をひたすらに歩く。さっきまでは気にならなかった蝉の鳴き声が一層やかましくなったような心地がした。

その道の地面はコンクリートの地続きだが、周りの景色からビルやマンションは姿を消していた。こんな住宅街が存在したのかと目を疑うばかりである。どちらかといえば田舎にも近いような環境だった。外から丸見えの洗濯物、不躾に貼られている選挙ポスター、前から歩いてくるお年寄り。歩いているうちに本当に地元を歩いているのか不安になっていく。いつの間に手の甲にとまっていた虫に驚き、払いながら歩を進め、ようやくその田舎道を抜けた都会らしき場所に躍り出た。

都会らしい、というより都会ではあるのだが、僕が来たことのないエリアであったために新鮮さは桁違いである。新しい景色や不必要な歩道橋、弱すぎる自動販売機にすぐ赤になる横断歩道など、どうやら自分の地元がエンタメに弱いことがわかる町並みだった。加えて久々に履いたサンダルは両足ともに破損し、僕の散歩を妨げ始めていた。ようやく少し見栄えの良い公園を見つけ、安心しながらベンチに腰を落ち着ける。ボロボロになったサンダルを見かねてか、あるいは若者の物珍しさからか、ウォーキングをしていたおばあさんに声をかけられた。なんとなくマスクをつけ直し挨拶をすると、僕の肩に虫が止まっていることを笑いながら教えてくれた。恐れ慄き、大慌てで肩の虫を払うと、おばあさんは笑っていた。

不慣れなことはするものではない。ほぼゴミと化したサンダルで早速帰路を辿り始めていた。とはいえ、自宅からはずいぶん距離もあるし、新たな方向から来たためにどのくらいの時間がかかるのか見当がつきづらい。なんとなく来た方向を戻ってみてはいるが、なんとなく同じ道を選ばなかったせいで合っているのかすらもわからない。途中、小学校の遠足で来るような濁った池の上に架かる橋のようなところに出た。蝉の鳴き声だけではなく苔むしたその澱んだ池は僕のテンションを下げ、早く通り抜けようと必死だった。しかしいかんせんサンダルがお釈迦になっているから、どうしてもゆっくり歩かざるを得ない。そばに転がっている蝉の死骸を越え、橋を渡りある大通りに出ると、いつか見たような景色が眼前に広がった。ここに繋がるのか、とつい声に出してしまう。長々と歩いた気持ちだが、こうしてみるとあっけないものである。すでに時間は6時をまわり、人通りも多くなっていた。

家に戻り、軽くシャワーを浴びて自室で横になった。冷房の効いた部屋はなによりも快適であり、こんな時期にわざわざ外に出て散歩などするものではないと思わせてくれる。やることがない、というのは素晴らしいことである。慣れないことはするものではない。窓にはりつき、こちらを見ている蝉なんて見ないふりをした。早く夏が終わってほしいものである。

デッドマンズメランコリア

 

人間が苦手である。

仲良しで飲みに行くにも気疲れしない人は何人かいるし、人を好きになることも人並みにあるが、たぶん根本的に人付き合いが好きな人種では無いと思っている。幼い頃は誰とでも仲良くできたし、たぶん人付き合いは苦手じゃなかったような気がする。いつからか人嫌い、いや人苦手な自分が誕生して、そのまま成長してしまっていた。

けれど、たぶん大多数の人間がそうなんじゃないかとも思う。仲の良い友人と話す、というのと同じくらいの熱量で新たに関係性を構築することができる、という人の方が稀なんじゃないか。現代社会において人見知りだとか、いわゆる「陰キャ」なんて要素はもはやステータスで、それを皮切りにコミュニケーションが生まれる、だなんてことも往々にしてあるだろう。なので、僕のこの性格が変だなんて思うつもりはさらさらない。

最近は自称でも他称でも「変」という言葉を使ってその人を形容することが多い気がしている。僕はそういう人が苦手だ(そういう人がいたらごめんなさい)。変だというのは常識とか社会通念から大きくズレているときに使うもので、ちょっとした個性について語るときに使う言葉じゃないと思っているからだ。ちょっとマイナーな音楽を聴いているとか、寝る前にユニークな動画を見るとか、果物が嫌いだから先に食べてから他のものを食べるとか、そういうのはその人の生まれ持った習慣とか個性であって、決して「変」であるわけじゃないだろう、と考えてしまう。

人が自分じゃない人を指して変だと言う分にはまだいいが、相手が自分に対して変だと言ってくる時は特に居心地が悪くなってしまう。俺はいま無意識で変人アピールをしてしまったのだろうか、変だなと思われたいやつに見えているだろうか、この会話が聞こえている人はどう思うだろうか、だなんて1人相撲をとってしまう。自分になんて誰も興味はないことは分かりきっていても、そんな思考に陥ってしまうことをやめられない。きっと自分の中には、普通でありたくて仕方ない自分と、どこか普通であることに退屈していて、特別だと思われたい自分が棲みついているのだろう。その2人が拮抗し、なんとか普通である自分が理性を制御している。そんな状態でなんとかやってきているのに、変であることを躊躇いもなく口にできる人が信じられないのだ。自分というフィルターを通してしか、他人を量ることはできないのだから。

人を苦手にしているのは、結局のところ自分自身の性によるところなのだ。そんなことはとうの昔に結論づいている。こんなひねくれた見方をしないで受け入れてしまえばいいということもわかっている。けれど、どうやっても自分からは逃れられず、こんな言い訳をすることでなんとか社会から、友人から許されようとしているのであった。こんな些細なことにいちいち目くじらを立てる自分は変なのだろうか。いや、ただ陰気で性格が悪いだけか…。

遠征録

 

今日、叔父さんと2人でご飯を食べた。

 

幼い頃祖母の家に遊びに行くとたまに居た叔父さんは、僕が見たこともないアニメや聞いたこともないゲームをよくしていた。ブロッコリーは夜中外を練り歩く、カリフラワーはいずれ地球を侵略する、など口から出まかせを言っては僕を揶揄ってもいた。他の大人とは少し違う雰囲気や話をしてくれる叔父さんに不思議な魅力を感じ、よく懐いていたことを覚えている。しかし、あるとき叔父さんは祖母の家を出て一人暮らしをすることになり、会うことはほとんどなくなってしまった。その後順当に成長していった僕はたまに叔父さんと会うたびになにを話していいいのかわからなくなり、かつてはどんな話をしていたのかすらも全く思い出せなくなっていた。

僕が中学3年生くらいの時、叔父さんは結婚することになった。祖母の家に挨拶に来るということで、僕もその場に同席することとなった。久しぶりに会った叔父さんはかなりふくよかになっていたし、隣には素敵な女性を伴っており、大人らしくない大人だったかつての叔父さんはもうどこにもいなくなっていた。久しぶり、と挨拶を交わす以上のやり取りをすることが恥ずかしくてできず、なんでもないような顔をして僕は自分の世界に閉じこもった。加えて男子校出身で女性に対する免疫がなかったため、お嫁さんとろくに目を合わせることもできず、スマホゲームに夢中なふりをしてその場をやり過ごしたような気がする。お嫁さんは何かと話しかけてくれていたが、僕はそれらに相槌を打つだけで精一杯だった。叔父さんとすらもろくに会話ができなかったのに、見知らぬ女性とコミュニケーションを取るのはハードルが高すぎたのである。

そうしてめでたく叔父さんは結婚することとなった。後日結婚式が執り行われ、僕は初めて結婚式に参加することになった。誓いのキスをする叔父さんを見て、なんだか自分には関係のないドラマを見ているような心地がした。結婚式が終わって挨拶に回る叔父さんは、かつての叔父さんとは似ても似つかず、僕のよく知る大人の1人になっていたのだった。

またも順当に成長し、コミュニケーション能力もそれなりに身についた大学生になったころ、叔父さんはさらに脂肪を携えていた。綺麗だった奥さんが泣く子も、いや夫も黙る鬼嫁になったと愚痴をこぼし、赤ら顔でビールをあおっていた。意識的にだが会話もできるようになり、少しずつ叔父さんとの関係も修復されていった。いちおうLINEも交換したが、使うことはあるのだろうか。そんなことを思っていた。

 

就活が始まり、あまり順調ではない僕の現状をどこかで耳にした叔父さんから、様々なアドバイスが届くようになった。LINEでの会話は直接話すよりも敷居が低く、気兼ねなく色々と話をすることができた。僕の教育実習最終日である土曜日、今度ご飯でもどう?という連絡がきており、少し悩んだが、ここで断るのはなんだか無碍にしているみたいで引け目を感じてしまったし、実習が終わったことで浮かれていた僕は、なんとかなるだろうと楽観的に了承のスタンプを送信していた。

存外雰囲気や会話は悪くはなく、予想していたよりはそれなりに盛り上がっている食事会となった。あの会社はブラックだ、この会社は性格が悪い奴が多い、のような冗談を交えた就活の話から始まり、恋愛や結婚、果ては性のことと、親とはとても話さないような内容について叔父さんはあけすけに話し、また僕に尋ねてきた。普段親には言えないような鬱憤を吐き出すと、かつて祖母の家で聞いた笑い声が、個室に響いた。叔父さんは大人になったんじゃなくて、大人の面を手に入れたのである。僕がかつて面白がっていた''叔父さん''としての一面はなくなっていたわけではなく、ただ僕がそれを見つけられなかっただけだ。マイナーなアニメやゲームが好きで、ブロッコリーとカリフラワーが嫌いで、奥さんに頭が上がらない叔父さんは、父の日になにもなかったとへこんでいる。家族サービスしてないからなんじゃないと言うと、少し驚いた顔をして、そんな大人な冗談言うようになったんだね、と笑っていた。お面を手に入れたからね、としたり顔で言い、赤ら顔でハイボールをあおった。

真赤

 

「エモい」ってなんだろう。高校1年生くらいの頃に初めて耳にしたような記憶があるが、いまだに使いこなせる語彙として自分の中に定着してはいない。いやまあ、表現したいことはなんとなく理解できるが、それを使いたいかと言われたらなんとなく敬遠してしまっているというのが正しい。

いわゆる「エモい」とされる情景ほど、いろんな事象や感情、バックグラウンドが複雑に絡み合って産み出された尊いものであるような気がする。それを「エモい」のひとことで形容してしまうのは、乱暴だしなんだかもったいない気がする。なにより「エモい」として括るだけでエモくなくなるのでは?と感じてしまっていた。

けれど、僕の好きなバンドが「エモーショナルな楽曲」という煽り文句のもとシングルを発売していたことがあったが、それに関しては特に疑問を抱かなかったし、「へぇ〜エモーショナルなんだ〜」としか思わなかった。それはたぶん発信側が「エモい」という言葉を使っているからだと思う。ミュージシャンは音楽を使って世に広めることを生業としているから、そういう人たちがエモいと思ったならそれはきっとエモいんだろうし、「エモい」という語彙が正解の表現なんだな、と考えられるからだ。

ただ、たとえば自分が昔こういうことがあったとか、友人がこういうことがあったんだよね、と話す内容に対して「エモい」という言葉を使われたくはないし、また軽々しく使うわけにはいかない。それを使っていいのは当人だけで、他者がエモに当てはめるのはレイプも同然だ。日本語は年々便利になっていって、多様な言い回しが増えていくユニークな言語だけれど、手軽さがわかりやすく人気となるその反面、重厚さのようなものは失われているような気がする。思い出はきっと美しいし、尊いものだから、もっとふさわしい振り返り方をして慈しみたいものである。

まあ、長々といろいろ書いているが、要は「俺、エモい嫌い」ということが伝われば幸いです。セックスはひとつもエモくねぇよバーカ!